エグゼクティブ・サマリー
2026年2月28日の米・イスラエルによるイラン攻撃を契機に、世界の石油供給の約20%を担うホルムズ海峡が事実上封鎖され、日量2000万バレル近い原油・製品輸送が滞るという歴史的な供給危機が発生した。ブレント原油は一時1バレル=120ドルを突破し、現在も100ドル前後で高止まりしている。しかし、この危機が「短期で収束する地政学プレミアム」なのか、それとも「2022年のロシア・ウクライナ戦争に匹敵する構造的なエネルギー危機」の始まりなのか、国際エネルギー機関(IEA)や大手金融機関、市場専門家の間でも見解は大きく分かれており、投資家は難しい判断を迫られている。
Q1: なぜ原油価格は一時120ドル超から100ドル近辺まで下落したのか?
価格の乱高下は、市場の期待が激しく揺れ動いている証左だ。当初の急騰は、日量2000万バレルという空前の供給量が市場から消滅するとの恐怖を織り込んだものだった[1]。しかし、その後、IEA加盟国による史上最大規模となる4億バレルの戦略備蓄放出の決定や[2]、トランプ米大統領による「戦争は短期で終結する」との発言が伝わると、「最悪のシナリオは回避可能かもしれない」との期待が広がり、価格は一旦落ち着きを取り戻した。ただし、これは問題の解決を意味しない。Bernicke Wealth Managementの分析では、現在の市場はまだこの供給停止を「一時的(transitory)」なものと捉えており、エネルギー関連企業の株価は原油価格そのものの変動率ほどには上昇していない。これは、市場がまだ長期的な供給構造の変化を完全には織り込んでいないことを示唆している[3]。
Q2: 強気派(価格の長期高騰を予測)の根拠は何か?
強気派は、現在の状況が単なる地政学リスクの短期的な反映に留まらないと主張する。最大の根拠は、ホルムズ海峡の物理的な封鎖と、それに伴う生産設備の「シャットイン(生産停止)」だ。IEAの報告によれば、サウジアラビアやUAE、クウェートなど湾岸諸国は、輸出ルートを失ったことで生産量を日量1000万バレル以上削減せざるを得なくなっている[1]。一度停止した油田や液化天然ガス(LNG)施設(例:カタールのラスラファン施設)を完全に復旧させるには、紛争終結後も数週間から数ヶ月を要する可能性があり、供給能力そのものが毀損しているリスクがある[2]。Fitch Ratingsは、海峡封鎖が長期化し原油価格が100ドルで高止まりする「悪影響シナリオ」では、世界GDPが0.4%押し下げられ、欧米のインフレ率が1.2〜1.5ポイント上昇する可能性があると試算している[4]。
Q3: 弱気派(価格は早期に安定すると予測)の根拠は何か?
弱気派は、過去の多くの地政学的な石油危機が、最終的には短期的な価格スパイクで終わってきた歴史的パターンを重視する。MSCIの分析によれば、2006年以降の地政学ショックによる市場の損失は、1ヶ月以内に解消される傾向があった[5]。また、彼らはIEAによる大規模な備蓄放出や、米国など非OPEC諸国の増産余力を楽観視している。さらに、原油高騰自体が需要を抑制する効果を持つ。IEAは、価格高騰と経済見通しの悪化により、世界の石油需要が3月から4月にかけて日量平均100万バレル減少すると予測している[1]。Goldman Sachsが2026年第4四半期のブレント原油価格予測を71ドルと、比較的マイルドな水準に据え置いているのは、こうした需要破壊と供給サイドの対応力を考慮しているためと考えられる[6]。
Q4: 安全資産のはずの金(ゴールド)は、なぜ下落しているのか?
通常、地政学リスクが高まると安全資産である金は買われる。事実、紛争勃発直後には1オンス=5,423ドルまで急騰した。しかし、その後は反落し、3月15日現在では5,032ドル近辺で推移している。この逆説的な動きの背景には、米ドル指数の急騰がある。原油価格の高騰はインフレ懸念を再燃させ、市場が織り込んでいた米連邦準備制度理事会(FRB)の利下げ期待を急速に後退させた。その結果、金利差の観点から米ドルが買われ、ドル指数(DXY)は100の大台を突破する3ヶ月ぶりの高値を付けた[7]。ドル建てで取引される金は、ドル高が相対的な割高感につながるため、上値が重くなっている。つまり現在、金市場は「地政学リスクによる買い」と「ドル高による売り」の綱引き状態にあると言える。
Q5: FRBはどう動くのか?スタグフレーションは現実的な脅威か?
今週のFOMC(連邦公開市場委員会)は、極めて難しい判断を迫られる。原油高騰は、経済成長を鈍化させる(スタグネーション)と同時に、インフレを加速させる(インフレーション)という、いわゆるスタグフレーションのリスクを現実のものとするからだ。MUFGの試算では、原油価格が10ドル上昇するごとに米国のインフレ率は約0.2ポイント上昇するという[7]。現在の100ドル水準が続けば、それだけでインフレを約0.8ポイント押し上げる計算になる。市場はすでに、年内の利下げ期待を大幅に後退させている。エコノミストのモハメド・エラリアン氏やポール・クルーグマン氏は、このままでは1970年代のような深刻なスタグフレーションに陥る可能性を警告している[2]。ただし、Fidelityのように「長期金利はまだ安定しており、市場は持続的な脅威とは見ていない」とする慎重な見方もあり、FRBがインフレ抑制と景気後退回避のどちらを優先するか、その舵取りが今後の市場の最大の焦点となる。
アナリスト・ビュー:構造変化を見据えたポートフォリオ戦略
今回の危機における最大のリスクは、市場が織り込む「一時的なショック」という期待が裏切られ、ホルムズ海峡の封鎖が長期化・常態化することだ。そうなった場合、MSCIが指摘するように、2022年のロシア・ウクライナ戦争のように、複数の資産クラスを巻き込む構造的な市場の変容が起きる可能性が高い[5]。
このような環境下では、伝統的な「株式と債券」による分散投資の効果が薄れるリスクがある。実際、2022年以降、両者の逆相関関係は弱まっている。代替となる分散資産として、米ドルと金の重要性が増している。短期的にはドル高が金の上値を抑えているが、FRBが最終的に景気後退を避けるために金融緩和にかじを切れば、ドルが反落し、金が再び輝きを取り戻すシナリオも十分に考えられる。
投資家は、原油価格のヘッドラインに一喜一憂するのではなく、「供給停止の期間」こそが本質的な変数であると認識する必要がある。エネルギー関連株への投資は、紛争の短期終結に賭けるならば有効かもしれないが、長期化シナリオでは経済全体へのダメージがそのリターンを相殺する可能性も考慮すべきだろう。今は、ポートフォリオの防御力を高め、金やドル建て資産の配分を再評価し、市場のコンセンサスがどちらのシナリオに傾くかを慎重に見極めるべき局面である。
出典:
[1] IEA, “Oil Market Report – March 2026”, (2026/03/12)
[2] Fortune, “Iran war has caused the biggest oil disruption in history, IEA says”, (2026/03/13)
[3] Bernicke Wealth Management, “Mag 7 Struggles, Volatile Oil Prices | March 2026 Market Update”, (2026/03/13)
[4] Fitch Ratings, “World Growth to Continue at Steady Pace if Oil Price Shock Short-Lived”, (2026/03/11)
[5] MSCI, “A Multi-Asset Playbook for Geopolitical Shocks and Oil Supply Disruption”, (2026/03/11)
[6] Reuters, “Goldman hikes average Brent oil forecast to over $100 a barrel”, (2026/03/13)
[7] FXStreet, “US Dollar Index climbs above 100 amid Oil-driven inflation fears”, (2026/03/13)
免責事項: 本記事は情報の提供を目的としたものであり、投資勧誘を意図するものではありません。最終的な投資判断は必ずご自身で行ってください。
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